テント倉庫などをイメージしたとき、「柔らかそうだし普通の建物に比べて弱そうだな・・」という印象を持つ方も多いのではないでしょうか。たしかに膜素材は柔らかいですが、すべての膜構造建築物が「柔らかい建物」であるわけではありません。また、「柔らかい建物」が弱いわけでもありません。
かつて「柔剛論争」という激論が交わされ建築界に大きな影響を与えました。「大地震に耐えるのに適しているのは硬い建物か、柔らかい建物か」という内容で、現在の「耐震構造」「免震構造」などの考え方に反映されています。
今回は、柔剛論争の概要を紹介しながら、柔らかそうな膜構造建築物の安全性が見た目以上に高いことを解説します。コラム的な内容になっているので、軽い気持ちで読んでみてください。
建築界を賑わせた「柔剛論争」
はじめに冒頭で触れた「柔剛論争」について紹介します。
「柔剛論争」とは
柔剛論争とは、大正末期から昭和初期にかけて繰り広げられた「柔らかい建物:柔構造」と「硬い建物:剛構造」のどちらが大地震に耐える建物の設計として相応しいかを論点とする論争です。剛構造は現在の建築基準法の基本的な考え方として取り入れられており、柔構造は超高層建物や免震構造の設計手法に繋がっています。
剛構造の提唱者である佐野利器および武藤清は、当時の日本の建築構造界の中心人物です。一方、柔構造の提唱者である真島健三郎は、海軍省本部部長という立場。佐野氏・武藤氏が建築構造界を動かしていたこともあり、剛構造の考え方を基本とする耐震設計が主流となりました。
柔剛論争の争点:建物の揺れの周期について
柔剛論争は、単に「建物の硬さ」について論じているわけではありません。この論争の争点は建物の硬さによって決まる「建物の揺れの周期」と「共振現象」です。
まずは共振現象について解説します。ブランコをイメージしてみましょう。ブランコの揺れに合わせて背中を押すとどんどん揺れが大きくなりますよね。それと同様に、地震が発生して建物が揺れるとき、地震(ブランコを押す力)と建物(ブランコ)の周期が近いと共振現象により建物の揺れがどんどん大きくなっていきます。この共振現象により建物が受ける力が増幅され、場合によっては倒壊といった大きな被害に繋がってしまうのです。
一方、建物の揺れの周期は建物の質量と硬さによって決まり、硬いほど短く、柔らかいほど長くなります。建物と地震の共振現象を避けるためには、剛構造は地震よりも短い周期、柔構造は地震よりも長い周期を狙って設計することになります。
柔剛論争のきっかけとなった大正関東地震(関東大震災)の周期は1秒程度であり、一般的な大地震の周期は1~1.5秒と考えられていたため、1秒よりも短い周期にすれば共振を避けられるというのが剛構造派の主張です。一方、将来的に長い周期の地震が来ることも考えられることや、建物の劣化による長周期化などを考慮し、はじめから地震より長い周期で設計するべきだというのが柔構造派の主張でした。
柔構造の設計は当時のコンピューター技術では難しかったこともあり剛構造の考え方が主流になりましたが、真島氏の主張のとおり2011年の東北地方太平洋沖地震では周期3秒を超える長周期地震動が観測されました。現在は、超高層建物などでは柔構造の考え方が取り入れられ、建物の周期は想定される地震動よりも長く設定されています。そのため、東北地方太平洋沖地震でも建物被害はそれほど報告されませんでした。
以上のことから、建物が硬い・柔らかいということよりも、「建物と地震の共振を避ける」ことが最も重要なポイントといえます。
現在の建物の設計方針
剛構造の提唱者として紹介した武藤氏は、日本初の超高層ビル「霞が関ビル」の設計者です。霞が関ビルの設計にあたっては柔構造を採用しており、必然的に建物の周期が長くなる(建物が高いほど周期は長くなる)超高層建物では柔構造にせざるを得ないという考えを示しています。このように、現在は建物の特性や用途にあわせて剛構造と柔構造が使い分けられています。
- 剛構造が向いている建物:高さ60m以下の一般的な建物
- 柔構造が向いている建物:高さ60mを超える高層建物、大きな揺れを嫌う建物
工場や倉庫に向いているのは?
工場や倉庫は、剛構造でつくられることが比較的多いです。安価かつスピーディーに建設することが求められ、また、低層で計画されることから建物周期を長くするのが難しいからです。
ただし、以下のような場合は柔構造(免震構造+鉄骨造)を採用されることがあります。
・精密機械のような嫌振機器を設置する場合
・クリーンルームを設置する場合
・大地震発生時も事業を継続したい場合
免震構造を採用するには免震ゴムなどの特殊なデバイスが必要になるため、イニシャルコストが高くなる傾向があります。また、免震デバイスの定期的なメンテナンスといった手間も増えることもデメリットです。しかし、高額な機械を設置する工場などにおいては、人の命と財産を守るうえで免震構造によって得られる効果は計り知れません。
硬い・柔らかい建物のメリット・デメリット
硬い建物と柔らかい建物は一長一短であり、建物の特性や用途に合わせて適切に選択することが大切です。ここで、硬い建物と柔らかい建物のメリット・デメリットをまとめてみましょう。
硬い建物のメリット・デメリット
メリット
・比較的安価かつスピーディーにつくれる
・設計・施工が容易で多くの建設会社に依頼できる
デメリット
・地震によって大きな揺れが発生する傾向がある
・建物によっては損傷が大きくなる傾向がある
柔らかい建物のメリット・デメリット
メリット
・高度な解析により揺れの大きさや速度をある程度コントロールできる
・BCPを意識した建物を実現できる
・微振動を抑えるデバイスを併用することで精密機械なども扱いやすくなる
デメリット
・設計・施工が難しく、依頼できる建設会社が限定される
・イニシャルコストが高い
・免震デバイスなどの定期的なメンテナンスが必要
・設計に時間がかかる
柔らかそうな膜構造建築物(テント倉庫)の安全性が高い理由
最後に、膜構造建築物の安全性について解説します。一見すると柔らかそうな膜構造ですが、鉄骨フレームによるしっかりとした剛構造に膜の柔らかさと軽さが加わり、高い安全性を実現しています。
フレームは硬くてしっかりしている
膜構造建築物の構造物としての特性は、膜ではなくフレームで決まります。テント倉庫などでは通常の鉄骨造と同等の部材を用いるため、硬くてしっかりしたフレームを構築することができます。テント倉庫などの膜構造建築物は柔らかそうに見えますが、建物としては「硬い建物:剛構造」に該当します。
イメージと異なるかもしれませんが、多くの膜構造建築物は鉄骨造特有の高強度・高靭性といった特徴を備えた頑丈な建物です。
膜素材は柔軟性に富む
一方で、膜構造建築物の外壁や屋根に使われる膜素材は、イメージのとおり柔らかい材料です。そのため、強風を受けても伸縮することで破損を避けられるというメリットがあります。セメント版などでつくられる外壁は、経年劣化や地震・強風時の力・揺れにより外壁の脱落やタイルの剥離といった事故が考えられます。このような事故の危険性が低いことも、膜構造建築物の安全性が高い理由のひとつです。
膜素材は経年劣化が早いイメージを持っている方がいるかもしれませんが、特殊なコーティングなどにより雨・風といった外部環境に対する耐久性が高められています。定期メンテナンスをしっかりと行えば、経年劣化による安全性の低下を抑えられます。
建物が軽量で、発生する地震力が小さい
膜素材の大きな特徴のひとつが「軽量」であることです。この軽量さが、膜構造建築物の安全性の高さに繋がっています。ここで、高校物理の基本として習う「ニュートンの運動の第2法則」を思い出してみてください。
ニュートンの運動の第2法則
F=ma(F:力、m:質量、a:加速度)
建物の構造設計は難しいと考えている方が多いかもしれませんが、高校物理で学ぶこの式がすべての基本になっています。この式によると、力は質量に比例し、質量が小さいと力が小さくなることがわかりますね。
つまり、膜構造建築物は軽量なので受ける地震力が小さくなります。地震力が小さければフレームの部材も小さくなり、さらに建物が軽くなります。このような相乗効果により、安価で安全性の高い建物を実現できるのです。
工場・倉庫はテント倉庫がおすすめ!
膜構造建築物は、鉄骨フレームによるしっかりとした剛構造です。そこに膜の柔らかさや軽さといった良さが加わり、安全性を高めていると捉えることができます。剛構造のメリットは、比較的スピーディーかつ安価に建設できることです。すばやく工場や倉庫を用意したい場合は、膜構造建築物であるテント倉庫などが優れたソリューションになるかもしれません。一方、BCPなどを意識したい場合は「免震構造+鉄骨造」のような柔構造の採用を検討するとよいでしょう。